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武蔵野文化堂会館漫遊写真館二式大艇見聞記
※このコンテンツは2002年5月ころのものです。現在、船の科学館に二式大艇はありません。「平成16年(2004年)4月24日より、東京の海の科学館に展示してありました二式大型飛行艇が屋外展示してあります。」(鹿屋航空基地史料館ホームページより)

帝国海軍ニ式大艇見聞記
古来より海に囲まれた日本は船舶という交通 手段をなくして語れない海洋国でした。しかし徳川幕府によって船舶の大きさに制限が与えられ、長きにわたり造船技術が伸び悩む事態が発生しました。その後、討幕派からなる新生明治政府により遅れた技術を取り戻す努力が効をせいし、日本は短期間で日進月歩の成長を見せ、とうとう列強に追い付く世界有数の海軍国となったのです。そして生まれてきた数々の新技術の中には船と航空機が合体した飛行艇なるものがあります。これは正に海洋国ならではの乗り物と言えましょう。今回その現存する唯一の機体を見に東京湾の臨海副都心までやって参りました。

JR新橋駅から臨海副都心をゆく『ゆりかもめ』という新交通 システムが出ており、この路線上には『船の科学館』があります。ここは船の歴史を垣間見られる博物館なのですが、旧日本海軍の二式大型飛行艇も、その歴史の一遍を語るものとして展示されています。欧米列強に技術的に遅れをとった日本の工業技術では大型四発機(エンジンが4つ付いている飛行機)を量 産するこが難しく、 この二式大型飛行艇は陸上用も含め、数少ない日本の四発機となりました。
主に海上からの離発着ができる航空機は水上機と飛行艇の2種類がありますが、前者は車輪の代わりにフロートを機体から出した航空機で、飛行艇とはその機体自体が着水する航空機のことをいいます。機体下部が船底の様になっているのが特徴です。
日本の飛行艇の歴史は、大正10年にイギリスから輸入したショート社のF5飛行艇を国産化したものを皮切りに十五式(昭和2)、八九式 (昭和5)、九◯式(昭和6)九一式(昭和7)と様々な困難を乗り越え、とうとう世界の同級機と肩をならべる実用四発飛行艇、九七式飛行艇(昭和11)に辿り着きます。

その後、世界的レベルの傑作、九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、零式艦上戦闘機を送りだした海軍は、昭和17年、世界水準を遥かに超えた二式大型飛行艇を誕生させます。二式大型飛行艇はまたの名を二式大艇と呼び、広大な大平洋の長距離に渡る哨戒、輸送、連絡等の任務につき、時にはその7,153kmという航続性能を生かした爆撃なども行いました。あまり知られておりませんが第二次ハワイ爆撃は二式大艇の晴舞台のひとつです。

しかし、泥沼化した大平洋戦線において徐々に制空権を失っていった洋上には、もはや鈍足の二式大艇の活躍の場はなく、アメリカ戦闘機の前にただ消耗していき、時には同じくアメリカの四発機であるボーイングB17に撃墜された例もあったそうです。
この科学館の機体は敗戦後、一度アメリカ軍に鹵獲されたものが里帰りを果 たしたもので、現在、実存する唯一のものであり、大変貴重な歴史の生き証人です。それを酸性雨にさらされる状態で放置している現状をなんとかしたいものです。

手漕ぎボートほどもある、翼の下のフロート部


尾灯の上にある後部機銃座を下から仰ぐ

単発機一機分とほぼ同じ大きさの動力部


全景と一緒に記念撮影する私

始めて実機を見た感想はただそのデカサに圧倒されましたが、眺めていると遠き過去の歴史が彷佛されなかなか感慨深いものがありました。当然ながら、塗装や部隊マークなどは戦後再現されたものであり、正確さには掛けます。しかしその存在意義は非常に大きいものであり、華々しくデビューを飾り、非運の中に消えていった多くの日本機の中のひとつとして今後とも末永くこの国を見守ってほしいものです。

武蔵野文化堂会館漫遊写真館二式大艇見聞記

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